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ベルギー デンマーク ベッカム  ドイツ 日本・トルコ友好秘話 ドイツ:パラグアイ空40% デル・ピエーロ 鳴らないホイッスル

6月17日(月)

W杯サッカー・攻め上がるウィルモッツ

ブラジル−ベルギー、前半、ドリブルで攻め上がるベルギーのウィルモッツ(中央)。後半に入ってブラジルが1−0でリード(17日、神戸ウイングスタジアム)

ベルギーの主将ヴィルモッツが審判に誤審を告白されながらも一切愚痴を言わなかった男気も感動しました>ベルギー×ブラジル戦

前半【35分】ベルギー、右サイドからのクロスにビルモッツが頭で合わせゴールを揺らすが、ファールの判定。

BRA:BEL ウィルモッツの幻のゴール


前半「赤い悪魔」の攻勢が続いた。マルク・ウィルモッツが見事なヘディング・シュートを決めるが、ファウルの判定で無効に。勇猛果敢に攻めたベルギーは、一流選手を揃えた対戦相手に一歩も引かない試合を演じる。神戸ウィングスタジアムで行われたブラジル対ベルギー戦(2-0)にて、2002年6月17日。

マルク・ヴィルモッツ(Marc WILMOTS)

 

生年月日 1969年2月22日
所属クラブ(国名) シャルケ(ドイツ)
身長・体重 183センチ・89キロ
過去のワールドカップ出場歴 90年、94年、98年
代表歴
(2002年4月10日現在)
62試合・24得点
攻撃の主軸。トップ下の位置から強引なドリブル突破とパワルフなシュートで、相手守備網に風穴をあける

 

 

 

 

組織力で善戦も及ばず 個人技に屈したベルギー

 ブラジルに敗れ、サポーターにお辞儀をしてピッチを後にするウィルモッツ(右端)らベルギーイレブン=神戸ウイングスタジアム

 

組織力で善戦も及ばず 個人技に屈したベルギー

 ベルギーは前半0-0と耐えたが、後半にリバウド、ロナウドのゴールで2失点。16年ぶりの8強入りを目指した「赤い悪魔」は、王国の個人技に屈した。
 持ち味の組織力で善戦した。前線にベルヘイエンを残し、徹底した守備で対抗する作戦は当たった。ボールを奪うと、素早いパス回しで速攻。代表引退を決めているウィルモッツが前半36分、ヘディングシュートを決めたかに見えたが、ファウルでノーゴール。後半8分も絶妙なシュートを放ち、ブラジルに脅威を与え続けた。「代表でやってきて1番いい試合だった。みんな後悔していない」。幻の先制ゴールで4試合連続得点は逃したが、大黒柱は胸を張った。
 1999年に就任したワセージュ監督は信念を貫いた。オランダと共催した2000年欧州選手権は1次リーグ敗退と屈辱を味わったが、スター不在のチームに規律を植え付け、6大会連続のW杯出場にこぎつけた。地元報道陣と選手起用などで対立しても、国内リーグ得点王で好調のソンクを「スーパーサブ」として4試合起用し、戦術と試合の流れを最優先した。
 「驚くべき結果に終わっていたかもしれない。それはウィルモッツのシュートはゴールだったからだ」と指揮官は嘆いた。昨年は心臓のバイパス手術を受けたが、執念で指揮を執ったW杯。「いい大会を戦えたよ。3年間、やってきたけど、後継者もきっと喜んで引き受けてくれるだろう」。人生をかけた62歳は、表舞台を静かに去った。


 

サッカー=FIFA「大きな誤審が一度か二度あった」

 6月23日、FIFAの広報部長は、W杯で大きな誤審が一度か二度あったと述べた。写真は22日、韓国戦で副審と言い争うスペインのカマチョ監督(左)(2002年 ロイター/Lee Jae Won)(ロイター)

 


W杯サッカー・喜ぶイルハン

セネガル−トルコ、延長前半、ゴールデンゴールを決めて喜ぶトルコのイルハン。トルコはベスト4進出を決めた(22日、大阪長居スタジアム)

トルコにできて共催国韓国にできない亊SEN : TUR 22/6 Osaka, Japan
SEN : TUR 22/6 Osaka, Japan

日本・トルコ友好秘話 エルトゥール号遭難事件

 1890年(明治23年)9月16日、トルコ皇帝ハミル2世が日本に派遣した特使一行を乗せたエルトゥール号が、帰路、暴風雨に遭い、和歌山県串本町沖合で岩礁に衝突し遭難するという事故が起きた。
 この事故で、特使を含む518名は死亡したが、死を免れた69名は、地元民の手厚い救護により、一命を取り留めた。この時村人たちは、台風により漁ができなく、自分たちの食べるものさえ無くなってしまうという状況にあったにもかかわらず、非常時のために飼っていた、最後に残ったにわとりまでも、トルコ人に食べさせ介護したのだった。また、遭難者の遺体を引き上げ、丁重に葬った。
 この話は、和歌山県知事から明治天皇に伝えられた。その後遭難者たちは明治天皇の命により軍艦2隻でトルコに送り届けられた。このことは、日本中に大きな衝撃を与えた。
 この話に同情した「山田寅次郎」なる人物が、一民間人として新聞社などの協力を得ながら全国を歩いて義捐金を集め、それを携えてトルコに渡った。 1892年4月4日、イスタンブールに上陸した山田は、外務大臣サイド・パシャに義捐金を手渡し、皇帝アビドゥル・ハミト2世に拝謁した。山田寅次郎はトルコ側の要請で、そのままトルコに留まり、日本語を教えるとともに、日本とトルコの友好親善に尽くした。この時の教え子の中に、後にトルコ共和国初代大統領となる、ケマル・パシャ(アタチュルク)がいた。

 時代は下って、イラン・イラク戦争が始まった、1985年3月17日、イラクのサダム・フセインが「今から40時間後に、イラクの上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」ということを世界に向かって発信した。イランに住んでいた日本人は、慌ててテヘラン空港に向かったが、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。世界各国は自国民の救出をするために救援機を出したが、日本政府はすばやい決定ができなかった。空港にいた日本人は、パニックに陥った。
 そこに1機のトルコ航空の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機は日本人216名全員を乗せて、成田に向かって飛び立った。タイムリミットの、1時間15分前であった。なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。この時、元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。「エルトゥール号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥール号の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」

 


「帰らないでベッカム」 最後の別れに4000人

 大勢のファンに見送られ笑顔で帰国するイングランド代表のベッカム選手=22日夕、関西空港

 

ベッカム、ヒデ…エースは「ウルトラ7」

 決勝トーナメントに入り連日、ガチンコの戦いが繰り広げられているW杯。今大会、各国代表の中心として活躍しているのが、背番号「7」の選手たちだ。日本代表の指令塔・中田英を始め、イングランドのベッカム、ポルトガルのフィーゴなど、きら星のごとくビッグネームが名を連ねる。大会前、エースナンバーは「10」と相場が決まっていたが、新世紀はズバリ「ウルトラ7」である。

 代表選手たちが背負う「1」から「23」までの番号。そこには、さまざまな思いやプライドが凝縮されている。特に「10」は、その国のエースが背負う番号として、尊敬と誇りを持って受け止められてきた。

 W杯の歴史をひもとけば、86年のメキシコ大会で、「5人抜き」ゴールを見せたディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)を筆頭に、ジーコ(ブラジル)、ミシェル・プラティニ(フランス)、ゲーリー・リネカー(イングランド)、ドラガン・ストイコビッチ(ユーゴスラビア)-など、時代を代表するプレーヤーはすべて「10番」だ。

 今大会も、ジダン(フランス)、トッティ(イタリア)、リバウド(ブラジル)などがこのナンバーを身に付ける。

 一方で、ゲームメーカー、チャンスメーカーとして背番号「7」の活躍が目立っているのが、今大会の特徴だ。

 代表格は、日本の中田英。仏大会での「8」から「7」に衣替え、相手DF陣の厳しいチェックをものともせず、日本の快進撃を演出してきた。好きな数字はラッキー「セブン」。山梨・韮崎高時代から「7番を付け、7億円プレーヤーに」との目標を掲げてきた。平塚、ペルージャ時代は「背番号7」。現在所属のパルマでは「10」を与えられたが、最後まで「7」を望んだ。

 イングランドの"至宝"ベッカムも「7」信者。キャプテン中のキャプテンといわれるイングランドのスーパースター、ボビー・ムーアを敬愛している。代表だけでなく、所属のマンチェスター・ユナイテッドでも7番。左足甲骨折から奇跡の復活を遂げ、右足から放たれる精度の高いCK、FKで母国を12年ぶりにベスト8へと導いた。

 このほかデルピエロ(伊)、ウィルモッツ(ベルギー)、ラウル(スペイン)、フィーゴ(ポルトガル)など、各国のエースクラスが数多く「7」を身に付け、ピッチに立っている。

 「7番のエース」が増えている理由について、奥寺康彦氏(横浜FCゼネラルマネージャー)は、「10番は自然と周囲が期待するため、選手が重荷に感じる。また、過去のスター選手と比較されるプレッシャーがあり、付けたがらないケースが多い」と解説。

 さらに、「最近は背番号が、必ずしもポジションを表しているわけではない。選手も、昔から付けている番号に愛着を持っており、代表入りしてもその番号にこだわるようだ」と続ける。

 ただ、"10番神話"が依然として根強いのも事実。98年W杯日本代表の山口素弘氏(名古屋グランパスエイト)は、「私にとってエースナンバーは、やはり10番。注目選手を尋ねられたら、『そのチームの10番』と答えます」。

 日本代表から漏れたが、中村俊輔(横浜F・マリノス)の10番好きも有名だ。

 風水学の第一人者、Dr.コパ氏は開幕前から、「風水からみると今大会は『7』が活躍する」と予言。その言葉通りの展開となっている。

 新世紀のエースの歴史は、背番号7によってつくられる。各国を代表するウルトラセブンが、どんな離れ業を披露するか-。

 

 

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